金 - 6月 15, 2007

日本一不運な男


新堂冬樹の新作「日本一不運な男」を読み終えた。


帯に「「白・新堂」でも「黒・新堂」でもない新堂ワールド2007年“新色”」と書かれていたので期待したが、これは普通に「黒・新堂」でしょ。新色とは「動物記」みたいなのをさすんだぞ?

Posted at 11:07 午後    

月 - 3月 20, 2006

黒い太陽


新堂冬樹先生の「黒い太陽」を読み終えた。



今度は風俗業界。

Posted at 10:44 午前    

火 - 10月 25, 2005

1円も儲からナイト



お嬢をお風呂に入れてから六本木のスーパーデラックスへ行ってきた。タナカカツキさんとぜんじろうさんの司会が最高峰に面白かった!

Posted at 11:44 午後    

水 - 10月 19, 2005

楽園の眠り



馳先生の「楽園の眠り」を読み終えた。楽園の眠りなんて大げさすぎ。やくざがいくら嬲られても面白いだけだが、幼児が虐待されるのは読んでて苦痛。いったい誰に呪詛を唱えているのか。幼児虐待でお金儲けしてるような、全作品中もっともケツの穴の小さな作品。

Posted at 11:37 午後    

火 - 4月 19, 2005

鹿鼎記4 二人の皇太后



「鹿鼎記4 二人の皇太后」を読み終えた。また美女が出て来て、出過ぎだろ! 今巻では少林寺で修行したり、主に五行山でのお話。最後には新たなサプライズが噴出したが、チャウ・シンチーの「ロイヤルトランプ」でもこのネタ出て来ていたので、あまり驚きは無し! はやく続きが読みたい。

Posted at 11:45 午後    

金 - 3月 11, 2005

鹿鼎記3 五台山の邂逅



なっ。前巻で両手に花状態だったのだが、また一人カワイコちゃんが増えた。そしてなんと少林寺十八羅漢が出て来た! おもしれー。はやくつづき読みてぇー。俺、スポーツやらないと死ぬとかになったら、カンフーやろうっと。太極拳いいな、こないだの「カンフーハッスル」観て思った。 

Posted at 08:20 午前    

月 - 2月 21, 2005

鹿鼎記2天地会の風雲児



てやんでい! 朝風呂半身浴で「鹿鼎記2天地会の風雲児」を読み終えた。もうめちゃ夢中。なんちゅうか、ずる賢くて機転が利く人っているけど、それも才能やね。早く続きが読みたい。星爺の「ロイヤルトランプ」も観たい。一度「ロイヤルとランプ」をレンタルで借りたんだが、見ずに返したんだよな。もしかして当時チャウ・シンチーのVCDを買い漁っていた連れ合いのコレクションにあるかもな「ロイヤルとランプ」。

Posted at 12:06 午前    

木 - 2月 3, 2005

鹿鼎記 1 少年康熙帝



んーぎゃーぁ! 金庸先生の「鹿鼎記 1」を読み終えた。幾有意志! すげーヒット。 主人公の葦小宝が口だけの少年で、社会の底辺から伸し上がる周星馳映画っぽいお話。て言うかな、既に「チャウシンチーのロイヤルトランプ」の原作なんだけどな。おれに言わせりゃ、八巻までこの世界が続くわけで、もう連れ合い風に言うならば「ウハウハ」状態だ。はやく続きを貪り読みたいわけ。

Posted at 11:20 午後    

金 - 12月 24, 2004

不夜城 長恨歌



あーあ、ついに「長恨歌 」読み終えてしまった。ずっとこの不夜城ワールドに浸っていたかったのによー。劉健一も今回は悪鬼だし、一作目の「カモるかカモられるか」と言っていた頃が懐かしい。そういえば映画では金城君が劉健一役だったが、今回の劉健一は誰が似合うだろう。梁朝偉(トニー・レオン)あたりが良いんじゃね? そうそう、渋谷の偉仔と言えばおれだから。

Posted at 11:01 午後    

火 - 12月 7, 2004

読書近況



今日は仕事帰りにお気に入りの「本屋のカフェ」で、その本屋とは別の本屋で買った「不夜城」完結編「長恨歌 」を貪り読んで、リラックスした。まだ読み始めだが、おれの中で再び馳星周の株が上がった程、「長恨歌」良いんじゃないの?って感じで、歌舞伎町の壮大なトリロジーを感じさせてくれている。今の所。感想はまた読破後に。

でだ。出産でばたばたしてたが、その前後にぼちぼち読んでいて、一応羅列しておくと「背広の下の衝動」(新堂冬樹著)、「蛋白質ガール」(王文華著)、「娘は男親のどこを見ているか」(岩月謙司著)。

「背広の下の衝動」は新堂先生の短編集だったが、新堂節炸裂のサラリーマンキャラ総出演って感じで、今までの作品を回想しながら読むには面白い。とりわけ「団欒」に描かれているあのファミリーは、著作権的に大丈夫なのかと思える程、爆笑した。最後の「部屋」は痛くて、眼から距離を離して読んだ。

「蛋白質ガール」は王家衛先生が映画化権取得の文字で買ったが、内容はお粗末。ガキな大人の恋愛ゲームみたいな、90年代のトレンディドラマかっつの。これが今の台湾なのか?

「娘は男親のどこを見ているか」は娘が居る男親ならこっそり読んどけヨ!

今週は読書とかゲームとか気分的にしんどかったが、やはり気分転換は重要だという事がわかった。ドラクエ8?

Posted at 07:19 午後    

木 - 11月 18, 2004

動物記



新堂先生の新刊「動物記 」を読み終えた。路線的にはいままでの新堂作品に無い感じの動物が主人公の短編集。といっても動物がしゃべったり擬人化もせず、ちゃんと野生の唸り声で勝負。先生の引き出しの広さに微笑。特に最後のジョンの話は、なんじゃこりゃー!

Posted at 11:37 午前    

日 - 9月 19, 2004

アサシン




新堂先生の「アサシン」を読み終えた。新堂作品ではおなじみの、底なしの冥い眼をした冷血の心を持つ殺し屋が主人公。

が、いつもと違うのは何のひねりも無いストレートなストーリー展開であるという事。今までの裏の裏を嗅いだ様な作品を全部読んだ読者にとっては、水に薄めた味気ない作品に思える。

どちらかと言えば「忘れ雪」や「ある愛の詩」系列の純恋路線モノなので、暗黒小説を期待しすぎて肩すかしを食らってしまった、といった所か。にしても、あの昔の少女漫画に出てくる様なヒロインで泣けとおっしゃるのですか、新堂先生? 

Posted at 04:56 午前    

木 - 6月 17, 2004

昏睡(コーマ)




「ビーチ」「四次元立方体(テッセラクト)」に続くアレックス・ガーランドの三作目「昏睡」を読んだ。「28日後…」の脚本も入れたら四作目なんだけど。

今日は久々の丸一日休みだったので、夕刻時に起き出し、風呂でつれあいが読みかけの「昏睡」を読みはじめたら止まらなくて、そのまま夕涼みの散歩のお供に「昏睡」を。近場のカフェで読むのも能がないので、電車で読む事にした。井の頭線、吉祥寺駅で下車、そのまま適当に散歩するも、信号待ちでは「昏睡」の続き。そんなこんなで小腹もすいてきたので、カフェでカレードーナツを喰いながら「昏睡」読破。

夢なのか現実なのか、という「マトリックス」の様なお話だが、このアレックス・ガーランドは狂気と現実の挟間の、実と皮の間の絶妙な部分を描かせたら右に出るものがいない。徐々にテーマが人間の内面方向へ突き進んでいるが、挿絵もダークで面白い心理効果を醸し出している。その挿絵は版画家の実父の作品で、親子でこんな作品残せるなんてうらやましい。

Posted at 04:12 午後    

日 - 5月 9, 2004

三億を護れ!


三億を護れ!


新堂先生の新作「三億を護れ!」を読み終えた。青木先生亡き今、銭に纏わる人間描写をさせたら右に出る者は無い。今回はギャグ多めで、もはや文学賞を狙うのを諦めた三流ギャグ作家状態。この路線は好きです。是非突き進んで欲しい。

Posted at 02:31 午前    

金 - 4月 9, 2004

Esquire Magazine Japan


バリ、二人だけのヴィラ


今号のエスクァイア日本版はバリ特集だ。こうして雑誌を眺めてはため息をついているのだが、今回の特集は二人だけのヴィラという事で、プライベート志向ヴィラを中心に取り上げていて面白い。特にプライベートだから何やってもOK的なモデル達のおどけ具合いが笑える。

日本では冬でも半袖の外人を見かけるが、このモデルの男性は長袖のシャツを着ていた。南国のリゾート地で長袖。実はこれが一番正しい着こなしなのかもしれない。俺は前回のプーケット島でまたもや皮膚をやられていたのだ。毎回リゾート地へ行く度に皮膚を痛めて帰ってきている。もともと皮膚が弱かったのかも知れない。おまけに皮膚科の先生曰く、歳をとるにつれて皮膚の抵抗力が弱くなっているらしい。もう日焼けはできないとリゾート地行きは断念していた所だった。

たまたま見た「極上の休日」最終回で、ビーズアートの田川啓二氏もパタヤで長袖を着て過ごしていた。これこそ大人のリゾートファッションなのだと実感した。夏でも涼しい長袖を探求していくか。洗練された大人へ一歩一歩近づきつつあるのだ。

あともう一つ、アジアンカルチャーの交差点としてバンコクを取り上げているので、是非見てみて。しばらく行かない間にかなり進化しているなぁ。地下鉄も作ってるらしいし、早く行きたい!

Posted at 02:31 午前    

月 - 3月 22, 2004

銀行籠城


銀行籠城


新堂冬樹の最新作「銀行籠城」を読み終えた。新堂先生のインタビューによると、先生の作品の登場人物はそれぞれ何らかのスペシャリストとして描かれていると言う。こないだの「ある愛の詩」のイルカに乗った青年・拓海は、おそらく「純粋」のスペシャリストだろう。そして今回の主人公五十嵐はまさしく銀行籠城のスペシャリストだった。

新堂作品におけるトチ狂った行動に走りがちな主人公級の人物は、必ずと言って良いほど幼少時代に酷い家庭環境で育ち、親から非道い仕打ちを受け、虚ろの冥い眼をしてる。たまにフラッシュバックで当時を思い起こすが、そのまま心の奥に底なしの闇を封印をする。

百歩譲ってこれは物語の世界にしても、やはり家庭環境ってものは、人格を形成する重要なファクターの一つである事は間違いない。俺も今こうして、底なしの闇の中でトチ狂う事も無く、好きな事をやって暮らせていけるのも家族のおかげです。

Posted at 02:31 午前    

土 - 3月 20, 2004

ティモレオン センチメンタル・ジャーニー


TIMOLEON VIETA COME HOME


イギリスのダン・ローズ著「ティモレオン ーセンチメンタル・ジャーニー」を読み終えた。ティモレオン・ヴィエッタとはゲイの老人コウクロフトが飼っている犬の名前だ。最初のページで雑種犬ティモレオン・ヴィエッタの瞳が少女の様に可愛らしいという描写に惹かれて買ったら、主人公がゲイの老人だったので困惑した。

だが読み進めていくうちに、ティモレオンはコウクロフトに捨てられ、イタリア放浪の旅をする事となった。そして次々と物語の主人公が変わっていった。するとこの作者のシニカルな部分が見えてきて一気に引き込まれた。

いくつもの物語の間をティモレオンが顔を出していく。最後はカンボジアのある家族の物語にまで飛び火したが、その収拾の付け方も面白く、読者はただ期待を裏切られまくり、一喜一憂して読み進めるしかできない。最後のオチはアレだが、作者的には冷笑して欲しい所なのだろう。素晴らしき発想と構成力に惹かれ、このダン・ローズって人の虜になった。一言で言うなら「上手い」かな。

Posted at 02:31 午前    

土 - 3月 6, 2004

マイク一本、一千万


ノンフィクション【M-1グランプリ2003】


「マイク一本、一千万」を読み終えた。筆者は漫才とはなんぞやと自問を繰り広げ、漫才のタイプを発想型と技術型に分けて考察していく。ここでいう発想型とは、いわゆる今までの漫才の型から外れて新しい発想で行われる漫才(変化球)を指し、技術型とは漫才の型にはまった漫才(直球)を指す。M-1で言うならば、笑い飯や千鳥が前者で、フットボールアワーや二丁拳銃、アメリカザリガニ、りあるキッズ辺りが後者となる。また最近の麒麟は後者になりつつあると思う。

新鮮だったのは「笑い待ち」という言葉だ。たとえば漫才の持ち時間が3分とするならば、3分みっちりのネタを作るのではなく、お客さんがが笑う数秒を考慮して作るのである。この「笑い待ち」を入れないと、客の笑い声とネタが被って、声が聞こえなく可能性が出てくるだろう。漫才とは何と奥の深い芸術なのであろう。

発想・技術、それに中田カウス師匠の言うところの鮮度というステータスもある。発想や技術というシステムの上に乗るネタが新鮮かどうかである。これらは漫才だけでなく、全ての芸術にいえる事である。最近では映画でもゲームでも、発想は? 技術は? 鮮度は? などと評価してしまう自分がいる。

そして今日も再びM-1 2003の録画ビデオを見返した。たとえば好きな曲を何回も聴く様に、あのネタをもう一度観たくなるのだ。名場面といえば2001年度の麒麟、2003年度の笑い飯などは何度でも観たくなる作品である。スピードワゴンの「(小沢さ〜ん)あたしゃ認めないよ」、フットボールアワーの「〜とお言い!」(SMタクシー)、おぎやはぎ口調などは連れあいとの間では、もはや日常語となっている。

Posted at 02:31 午前    

日 - 2月 29, 2004

ある愛の詩


ある愛の詩


新堂冬樹の「ある愛の詩」を一気に読んだ。読んだ。読んだ。時計の針は午前六時を指していた。「忘れ雪」から12ヶ月、純恋小説の新しい風と波。小笠原でイルカのテティスと育った純粋な青年・拓海と東京からやってきた声楽家を志す流香の心が震えるピュアストーリー。またしても疑問符がウサギの様に跳ね回った。

これ一冊だけを読めば純粋なラブストーリーだ。が、これは暗黒小説の雄・新堂冬樹が書いた純恋小説なのだ。闇金・やくざ・傭兵が臓物を撒き散らしながら死に、金の臭いを嗅ぎ分けるどぶねずみ達が闇の底辺を彷徨う、今までの新堂作品とは180度趣が違う。文体も前回の純恋小説「忘れ雪」よりもさらにソフトタッチ。まるで別人が書いたよう。そしてなんと新堂先生作詞作曲の「青の奇跡」を含むオリジナルテーマ曲CDまで付いている。つかの間、思案に暮れた。

思考のチャンネルを切り替えた。もしも、これを映画化したならば…。純粋な青年拓海に劉徳華(アンディ・ラウ)、そして東京からやってきた流香に鄭秀文(サミー・チェン)、もちろん監督は杜琪峰(ジョニー・トー)。こんな純粋な青年を演じられるのは劉徳華しかいない。こんな純恋な物語を映像化できるのは香港映画しかない。そしてエンディングに流れる「青の奇跡」を聴いて安易に涙するのも良いかもしれない。

………。いや、ただ香港映画みたいな純恋小説だと思っただけ。そっと目を閉じ、イルカに乗った劉徳華を思い浮かべてみた。拓海は弾ける笑顔で手を振った。

Posted at 02:31 午前    

木 - 2月 19, 2004

闇の子供たち


闇の子供たち


梁石日先生の「闇の子供たち」を読み終えた。タイの山岳貧村から仕入れた幼児を売買するマフィアと、スラム街でボランティアをする社会福祉センターのスタッフとの闘いを描いた作品。

貧困は人の心まで貧しくするというが、スラムの人は失うモノも未来も何も無く、数百バーツで殺しを請け負う。自分が生きる為に子供も売る。売られた子供はペドファイルの玩具と化す。エイズにかかれば生きたままゴミ捨て場に捨てられる。エイズにかかってない子供は臓器提供者として売られるという、底なしの闇のシステム。

一応フィクションとして描かれているのだが、タイというよその國のお話で終わらせる様な一過性なものではない。グローバル化の中で貧富の差が二極化する時、犠牲(いけにえ)となるのは非力の子供たちなのだ。こんな救いようのない弱肉強食の世界に生きてるのですよ、我々は。

Posted at 02:31 午前    

水 - 1月 21, 2004

葉月


運命の女


沢井鯨先生の「葉月」を読んだ。先生の作品は「P.I.P.」(プリズン・イン・プノンペン)「D.O.D.」(ダイス・オア・ダイ)が好きで、三作目を待ち望んでいた。「P.I.P.」はカンボジアの刑務所に入れらた男の話。「D.O.D.」はフィリピンの財宝探しの話。そして今回はバリ島の神話をからめた恋愛小説だ。

中年男が、男性に都合の良い様に書いたギャルゲーみたいな内容だった。最後まで眉一つ動かさずに読み終えた。常識的には説明のつかないシーン(ファンタジー?)の連続に、疑問符を浮かべる気力さえ萎えていった。俺はどんなにつまらなくても最後まで読んでから文句を言う主義だ。最後にすばらしい落ちが待っている可能性もなきにしもあらずだからだ。それさえも、悪い意味で裏切られた。

先生は文中で、作家である主人公の口を介して「前作は、自分では冒険小説のつもりで書いたのだが、アジアンノワール(アジアの暗黒小説)という聞きなれない、マイナーな分野に分類されてしまった。だから今回は王道の恋愛小説で勝負をかけるつもりでいた」と言っている。

結局の所、俺はファンとして先生にアジアンノワールを期待していたのだ(いや別にアジアンノワールでなくても、面白ければ良いという話もあるが…)。やはりここは、同じくモノを作る者として、作り手の意志を尊重するしかあるまい。それが礼儀だ。今回はどうであれ、次回作も買ってしまうのだ。こうしてみると「P.I.P.」って偉大だと思った。

Posted at 02:31 午前    

日 - 1月 11, 2004

闇の貴族


アン アサシン


新堂先生の二作目「闇の貴族」を読み終えた。処女作「血塗られた神話」からはかなりの描写力アップが伺える。「溝鼠」より前に波平頭(カット)が初めて登場していたとは…。

今回は殺しについて読者を納得させようと、特殊に訓練された殺し屋とやくざの違いを力説している。「悪の華」のマフィオソに近いものが伺える。素人が銃を撃っても、よほどの至近距離でないと当たらない。つまりこれはそこいらの暗黒小説とは一線を画しているのだ、と。新堂先生はここらへんに多くの情報をつぎ込み、納得させるのが巧みだ。

ストーリーもなかり先が読めない展開で、闇金の切り取りなんてほんの序章に過ぎない。かなりのボリュームで一気に読ませていただいた。なかなか良かったです。後半の壮大に膨れあがる裏社会事情も楽しませていただきました。これにて一通り新堂作品読ませて頂いたわけだが、改めて深みにはまってしまった。

Posted at 02:31 午前    

金 - 1月 2, 2004

ファイナルファンタジーXI ヴァナ・ディール ワールドリポート


デジキューブ


「ファイナルファンタジーXI ヴァナ・ディール ワールドリポート version.030625」という恥ずかしい本を買った。ヴァナ・ディールというのが世界の名前だ。いわゆる攻略本で、マップやらアイテム情報が満載だ。デジキューブ出版とい所もレアだろう。

最近はFFに時間をとられ、本を読む時間を食っている。読みかけの暗黒小説もあるにはあるのだが、それは半身浴用なので、あまり進んでないのが現状。寒いからね。

Posted at 02:31 午前    

金 - 12月 5, 2003

忘れ雪


クロス


 うらうらうらーっ! しばらく「ポケモン・ルビ・サファ」に没頭して中断していたが、ついに純恋小説「忘れ雪」を読み終えた。あの新堂先生が書いた恋愛ものって? と興味を持ちつつも「マジ恋愛ものなのか?」「一般読者を陥れようとしているのか?」と胸奥で疑問符が鎌首を擡げ、買うのを躊躇っていた。
 ジャケのかわゆい子犬(クロス)の絵や、帯の田中麗奈の「…胸が熱くなる奇跡の恋物語…」と中村獅堂の「泣けた。…」、「超一流メロドラマ復活宣言」や「”純恋”小説(ピュア・ストーリー)」の甘酸っぱい文字のオンパレード。おそらく前半の立ち読みで買った読者は、後半の展開に戸惑う事だろう。が、新堂ファン的には向こう見ずの愚か者が登場するのが遅い気がする。一般読者を陥れるにはこれくらいの手加減をしないと、読むのを放棄されかねないからか? 
 それでもストーリー自体は他の作品より荒んでないので、ジャケ買いの読者にも素直に入り込めるだろう。新規読者開拓か? はたまた「炎と氷」の前の口直しか?
 思考のチャンネルを切り替えた。「猟奇的な彼女」のクァク・ジェヨン監督は「思春期に実際の恋愛をすることができず、想像することの方を楽しんだことが、今こうして映画で解消されているのではないかという気もします。」と言っている。新堂先生の場合この線はありか?



Posted at 02:31 午前    

月 - 11月 17, 2003

ろくでなし


クリスマスに読みたい一冊。

 
 ハッシっ、ハッシっ、ハッシっ! 新堂先生の「ろくでなし」を読んだ。 …今回のはちょっとやりすぎだな。今回も、か。後口が悪い。尤も、シャブ神・速見が見る妄想、脾臓くんや内蔵たちが会話するシーンは、想像力の賜物だなと思った。マトリといえば、マトリックスでなく麻取りの事だ。
 「ろくでなし」(99年)は「血塗られた神話」「闇の貴族」に続くノベルズ三作目。文体や構成など、まだ脂が乗りきってない感じがするが、これから「無間地獄」「カリスマ」へと花開く予兆はひしひしと感じられる。だが、なぜ? なぜ? なぜ? なぜの三乗。

Posted at 02:31 午前    

木 - 11月 6, 2003

葬儀後の手続きと相続の事典


相続


葬儀が終わり、帰りの新幹線で読みながら帰った。が、それが全ての始まりであった。故人の遺産は凍結され、民法に沿った法廷相続人全ての容認がない限り解凍できない。何かが音を立てて崩れ去った。
トラブルのない相続にはやはり、遺言をお薦めしたい。遺言なんてただ家族へのお別れの言葉程度にしか思っていなかったが、それを書くにも家庭裁判所に認めてもらう法的に効力のあるものでなけらばならない。
遺言がない場合故人の遺志は効力を持たず、相続人で遺産分割協議書を作らなければならない。民事で定められた割合で分割する。もし自分が汗水垂らして蓄えた財産を自分の思い通りに相続したいのなら、是非遺言を。

Posted at 02:31 午前    

水 - 11月 5, 2003

血塗られた神話


デビュー作


新堂先生のデビュー作「血塗られた神話」を読んだ。新堂作品を読み始めたのは「無間地獄」からだが、そのきっかけは帯に書かれた故青木先生の「ゼニの魔力、そして資本主義の冷徹を暴いた現代版『ヴェニスの商人』や」だった。
一人称の「私」のせいか、後の新堂作品よりも全体的に堅い印象を与える。が、後半のとち狂った登場人物たちと心の荒み具合に、後に炸裂する新堂節が窺える。講談社ノベルズなんて読む事ないと思ったが、先生の作品だけは読ませて頂きます。

Posted at 02:31 午前    

木 - 10月 30, 2003

炎と氷


よかろうもん。


 なっ…。つれ合いも読み終えたので、やっと感想が書ける。新堂先生の作品の中でも、今回の世羅という主人公は実にいいキャラクターをしていた。九州弁キャラというのがあまり怖くなく、愛着がもてる。新堂先生大阪出身なのに? 今回もまた闇金融のお話だが、生き生きとしたノリノリの文体で最後まで一気に読めた。これは正しく先生の集大成ったい。
 この人凄いと思ったのは、作品の中でこれはノンフィクションであると自ら言い放っている所だ。どう読んだってこれは作り話だろ。本の最後にはコレはフィクションであり云々って書いてあるのに。壮絶な最後も狂ってるし、…先生凄いよ。

Posted at 02:31 午前    


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